設立経緯と理念

  • IEEE広島支部設立経緯

1998 年2 月、IEEE 東京支部の方針に沿って東京支部を幾つかの支部に分割するための第1回新支部設立検討委員会が開催されました。そして、各地区での新支部設立の準備・検討およびIEEE 本部との審議の結果、1998 年 11 月14 日[米国東部時間]に日本国内に新支部(札幌支部、仙台支部、東京支部、名古屋支部、関西支部、広島支部、四国支部、福岡支部)を設立する方向性がIEEE 本部において承認され、同日をもって上記設立検討委員会委員の雛元孝夫委員を暫定支部長とした広島支部が設立されました。次いで、1999年4月30日の広島支部総会における役員候補の承認を経て支部は実質的な活動を始めました。

なお、1999 年初頭の新支部設立検討委員会/IEEE Japan Council設立委員会およびIEEE 東京支部総会での審議・承認を経て、日本国内の IEEE 組織はJapan Council のもとで上記8 支部により運営されることになりました。その後、2006 年6 月に信越支部が東京支部から分離・設立され、現在は9 支部体制となっています。

IEEE 広島支部の定款(Bylaws)は1999 年6 月24 日[米国東部時間]にIEEE 本部で承認されています。

1998年11月14日(EST): 支部設立の本部承認,1999年6月24日(EST): 定款(Bylaws)本部承認

  • 設立理念

広島支部の発足にあたって、支部を運営していく上での基本的な理念と方策として次のようなことを考えました。1998年夏のことです。まず、学会の役員というものは、価値のある新しいサービスを会員に提供しようとするボランティアなのですから、これを名誉職だと思い込んでいる人たちが選ばれることがないような仕組みが必要です。

次に、多くの方々にフェローになっていただいて地域の学術基盤が高まるように、会員各人が主体的に手続きを進められることをお勧めします。ローカルな組織が候補の選定に関与することは好ましくありません。

そして最後には、「自分達のシンポジウム」を自分達で自主的に企画運営することを、次の世代を担う学生諸子に体験していただくことです。ボランティアの方々のご努力により、これらのことについて、さらにはその枠を超えて、これから多くの成果が目に見えるようになるだろうと思います。

  • 地方という名の国際性: 市川忠男(初代支部長 (1999~2000年度) )

「世界のどこが中央なのか」と聞かれたら困ってしまいます。学問や芸術、あるいは政治など、少なくとも分野によって違ってくるでしょう。ところが、「日本の中央はどこか」ということでしたら答えは明白です。そこでは、ほとんどすべての分野が統括されています。だからそこが中央です。中央があれば、それ以外の地域はおしなべて地方と呼ばれることになります。

私は、25年前に東京から広島に移ったとき、「東京に目を向けても箱根の山にさえぎられてその先が見えないから、海の方を見ましょう。ロサンゼルスが見えてきますよ」と、同僚や学生さん達に言っていました。正直いって、そこに見えたのは宮島だったのですが。いずれにしても、その結果、論文などはロサンゼルスなどと共通の地方語で書かれることが多くなりました。ヨーロッパの人たちも同じ地方語を使っているようです。このような地方語は国際語と呼ばれています。

その地方都市広島にIEEEの支部が生まれました。1999年のことです。「いや、東京支部が行政区分に対応した8つの地域に発展的に分割されたのだ」と言われることでしょうが、そのような概念は地方語の世界に馴染みません。とりあえずは中国地区のその他の都市のかたがたも広島支部のメンバーとしてお付き合いいただいていますが、やがては岡山支部、山口支部、鳥取支部、島根支部などが新たに生まれることでしょう。

このような見方で広島支部を構想してみました。これからは、中国地区の外(国外も含めて)におられる方々も会員となっていただけるような、「地方という名の国際性」を生かした魅力的な活動が展開されることを願っています。

ichikawa

初代 市川忠男支部長