IEEE 福岡支部

福岡支部設立の経緯と日本国内のIEEE組織(日本カウンシル・国内他支部)

 1998年以前には日本国内のIEEEの組織としては会員数9000名を超える東京支部ただ一つであった。会員数9000名というのは世界的に見ても最も大きな支部の一つであり、以前から東京支部をいくつかの支部に分割することが考えられ、またIEEE本部またはIEEERegion10からも東京支部の分割が求められていた。ちなみに1998年におけるRegion10の状況は、

  インド     10Section (6586) ()内は会員数。以下同様

  韓国      4Section,1Subsection(3573)

  オーストラリア 7Section(4904)

  ニュージーランド2Section(595)

  日本      1Section(9200)(世界300Sectionの中で3番目)

という状況であった。

 分割のメリットとしては、1)IEEE本部及びRegion10に対しすべての支部から代表を送ることができ、世界における日本の発言権が増す(従来は東京支部のみからの代表だった)、2)本部からの資金援助が増える($3/member+$1500/Section+$150/Chapter)、3)DistinguishedLecturer?の招聘が容易になる、4)東京から遠い地方の会員がより身近に学会を感じることができる、などであった。

 分割に際していくつの支部に分割すべきか、また研究活動の拠点であるChapterを分割後どう運営するか等いくつかの問題があった。この分割問題が1998年に具体的問題として取り上げられ、新支部設立委員会(委員長・大野 榮一氏)が設置され、国内の各地域からも代表者を出して検討を行った。九州・沖縄地域からは牛島和夫氏(九州大学教授)が委員として任命されていた。当初、5分割案(北日本支部(北海道(131)/東北(369))、東京支部(信越(136)/関東(5801))、中部支部(東海(489)/北陸(124))、関西支部(関西(1279))、西日本支部(中国(217)/四国(92)/九州(314)))が提示・検討されたが、運営の問題・名称の問題を考慮の上、最終的に国内を8支部に分割すること、8支部の間の調整やまとめ役として日本カウンシル(JapanCouncil?)を置くこと、またChapterは当分の間日本カウンシルの直属とすること、などで合意が得られた。同時に各支部の地域分け及び支部名称も決定された。なおこれらの検討経過については随時各地域代表者から地区内の会員に報告され、意見も求められた。

 なお、支部の名称はIEEEでは都市名を支部の名称とするのが基本とされるということで(もちろん例外もある)、紆余曲折はあったものの8支部の大部分も都市名をつけることで、最終的には、札幌、仙台、東京、名古屋、関西、広島、四国、福岡、の各支部が設立された。なお、8支部発足当時の支部会員数等は次のようである。

 以下、右から和文名/英文名/会員数/Territory郵便番号上3桁

1. 札幌支部(SapporoSection?)(131名)(001〜009、040〜099)

2. 仙台支部(SendaiSection?)(238名)(010〜039、960〜999)

3. 東京支部(TokyoSection?)(5,937名)(100〜409、940〜959)

4. 名古屋支部(NagoyaSection?)(613名)(410〜519、910〜939)

5. 関西支部(KansaiSection?)(1,279名)(520〜679)

6. 広島支部(HiroshimaSection?)(217名)(680〜759)

7. 四国支部(ShikokuSection?)(88名)(760〜799)

8. 福岡支部(FukuokaSection?)(314名)(800〜909)

 また新支部設立のスケジュールは下記のようであった。

98.2.18 第一回検討委員会

98.2.18 総会にて報告

98.4.22 理事会に中間報告

98.6.25 各地区、各Cahpterの基本計画策定期限

98.7.15 理事会に検討委員会の最終報告

98.7/8 新Section設立準備委員会を組織して実行計画策定

98.10.7 準備委員会の案を理事会に報告

99.2.24 総会にて報告、申請開始

 上記の合意に従って、IEEE福岡支部(FukuokaSection?)においても50名以上の会員からの支部設立請願書を提出し、これが1998年11月13日付けでRegion10Meetingで承認された。同時に、IEEERegion10によって牛島和夫・九州大学教授が福岡支部のInterrimChair?に任命され、InterimChair?のもとで支部規約(FukuokaSectionBylaws?)の制定を行いこれがRegion10に承認され、この規約に従って支部役員の選出が行われた。

IEEE Fukuoka Section ホームページ開設のご挨拶

 IEEE Fukuoka Section(以下、福岡支部)の設立は1999年5月にさかのぼります。それまで日本に在住するIEEE会員はTokyo Section(以下、旧東京支部)に所属していました。旧東京支部の会員数は約1万人でIEEEのSectionの中でも飛び抜けて大きい支部の一つでした。会員数がいくら大きくても支部の代表権は支部の大きさに関係ありません。オーストラリア、ニュージーランド、韓国、インドなど複数支部を持つ国と比べて会員数の割に発言権が少なすぎると言うのが旧東京支部を分割する動機であったと思います。  当初の分割案は、北日本(北海道、東北)、関東、中部、関西、西日本(中国、四国、九州)の5支部でした。この提案は、中央の視点でトップダウンに出てきたもので、北日本地区と西日本地区の会員には何となくすっきりしないものでした。紆余曲折の結果、北を札幌支部と仙台支部に、西を広島、四国、福岡の3支部に分割し日本全国で8支部とする案が纏まりIEEE本部の認可も下りて昨年の春に新しく発足しました。支部の名称は都市名が推奨されていたところから福岡支部を名乗った次第です。  現在福岡支部の会員は約400名です。支部を約2年足らず運営して感じたことは、 IEEEがボトムアップな組織であるということです。会の名前もそれを表しています。翻訳すれば、電気電子技術者協会です。先ず会員がいて、その集まりとして支部があり、そしてIEEEがあるのです。先ずIEEEがあって、それを支部に分割しその支部に会員が属しているというトップダウンな構成ではありません。会の活動も支部の独自性を大いに発揮することが推奨されています。  400人の規模の支部とはいえ九州一円に広がる支部会員の意志の疎通を図りこれをまとめていくのにインターネットの効用は計り知れないものがありました。これがなければ、支部を作った方が会員にとって有利だと分かっていても運営に当たるものの仕事は並大抵のものではなかったでしょう。改めてネットワーク時代の学会運営を実感する次第です。  このたび、懸案だったホームページをやっと立ち上げることになりました。ホームページを活用することによって福岡支部の活動が一層活発になることを願ってご挨拶といたします。

1999−2000年度福岡支部支部長・牛島和夫


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Last-modified: 2016-02-25 (木) 12:58:49 (2980d)