領域設定の背景

ieee mtt-s

2010年7月1日

MTT-S 関西チャプターからのお願い

IEEE MTT Society Kansai Chapter
10'-13' Chair石川容平

リーマンショックに端を発した未曾有の連鎖的な経済不況は、少し明るい兆しを見せているとはいえ、日本の産業はかつてのような国際競争力を示せなくなっています。これは将来ビジョンを明確に示せず、技術の行く先とその戦略を見失ったと言っても過言ではありません。

本趣意書はこのような状況を勘案し、マイクロ波技術が有効である新領域における産業および雇用の創出を目的として、異分野との相互作用など境界領域にも注目するとともにグローバルな視点から俯瞰することによりマイクロ波技術が貢献する未来予想図を目指すビジョン作成の経緯、およびその具体的な戦略領域策定を提唱するものです。

関西地区の産業・学術の発展には、産業界また大学および研究機関に属する研究者の方々の本会でのご活動が効果的と確信しております。本趣意書に対してご理解をいただき、配下の方のIEEE MTT-S Kansai Chapter およびその活動への参画を促していただくよう、お願いをする次第でございます。

戦略的重点領域の設定にあたっての背景と経緯

1.将来を見る難しさと努力の欠如

現状の学術および産業を十分認識したうえで将来を展望することは当然のこととは言え、100年に一度と言われる世界同時不況の影響をなお受け続ける今日、我々は足元の技術に対応しつつ同時に長期戦略を考えることは極めて難しいと言わざるを得ません。今回の不況は単なる景気循環ではなく、途上国を含む世界の経済システムが、急速なグローバル化に伴い緩衝機能不全に陥ったことを表していると考えられます。相互に強く依存する世界経済の下では、科学技術政策も当然のことながら今までと同じで良いという保証はどこにもありません。現在から将来に横たわる技術的課題を正視することが求められます。このような現状の中、我々は忙しさに感けてマイクロ波技術に関してさえアジアの指導的役割を将来にわたっても果たすための重要な長期戦略が議論されない状態で走ってきたように感じています。

2.民生用技術が牽引したマイクロ波通信産業

高度成長時にわが国では携帯電話と地デジ技術、無線LAN技術などがマイクロ波技術を牽引してきたと思います。軍事技術でないこれらの民生技術が強く求められ、市場を形成できた事は我が国の発展にとって大変幸運なことでした。セルラーシステムやOFDMの基本技術はいずれも米国発の技術ですがわが国で最初に民生市場で実用化された事は同時代の技術者の弛まぬ努力の賜物ということができます。民生市場において通信用マイクロ波技術でトップとなった我が国は宿命として次の方向を自ら見出す必要があります。成熟した先進国市場においてお手本はすでに無くなっていることを再認識する必要があります。

アジアを始めとする拡大する新興市場でマイクロ波のリーダーシップを取り続けるには研究領域、研究体制について十分な議論と結論に加えて俊敏な行動が求められると思います。問題を先送りにすればマイクロ波技術者は危機的な状況に陥ることを懸念します。技術立国といいながら我が国では将来ビジョン形成に対する関心が低く、技術の方向性を必要以上に不確定なものにしていると思われます。科学技術立国の技術者として自らが強いモチベーションを持ち大きな課題にチャレンジするため、文理融合的に社会的課題を十分に認識した研究開発テーマとして展開することが重要ではないでしょうか。

3.成熟した通信用マイクロ波技術を越えて

マイクロ波技術者がこのままでは危機的状況に陥ることを懸念するもう一つの理由は、途上国の追い上げに対して我が国の高度な技術がしばしば安易に値下げ競争のみに使われるところにあります。広義のソフト技術との融合によって付加価値を高める戦略を今後一層磨く必要性を感じます。ここでは高度なマイクロ波技術をどちらに向けるかという政策的議論や将来ビジョンが求められることは言うまでもありません。通信という市場が自動的に新しい技術を引っ張る時代は終わりを告げたかも知れません。新技術の研究開発投資の回収が困難になりつつあるからです。しかしながら途上国の市場はこれからも急速に拡大し、先進国の成熟した技術は途上国技術と融合を繰り返し、新興国を中心に産業や雇用を拡大させることが予想されます。現在、世界に横たわる経済的・社会的課題は複雑多様化し、先進国はむしろこれらの新たな課題に直面しています。

グローバルな視点でこれらの問題を俯瞰し、民生用通信技術を超えてマイクロ波技術が貢献できる技術領域へのさらなる展開が重要である様に感じます。新領域での産業創出・国内の雇用創出につながる先進国の技術開発と対応する研究テーマの発掘と取り組みこそが我が国のマイクロ波技術者が尊敬され、評価される条件であることを確信します。

4.新しい課題と向き合う技術者の姿勢

マイクロ波は質量を持たないため材料科学や機械工学、化学工学等とは一線を画し、別分野の学術・産業として発展してきました。いわば真空の見えない学問としての性格付けが強かったと言うことができます。半導体や金属内の電子の動きや電流との相互作用、誘電体・磁性体との線形相互作用などがわずかに物質を扱う技術との共通領域であったように感じます。今マイクロ波と材料との強い非線形的相互作用に着目した学術産業応用の取り組みが始まっています。マイクロ波工学とその応用技術は携帯電話と無線LAN、インターネット市場など我が国の通信産業が成熟したこの時期までに多いに発展を遂げたということができます。

科学技術の発展とともに環境問題、資源・エネルギー問題などが社会的課題として顕在化したこの時期、マイクロ波技術者がこれらの課題に正面から向き合い、対応していく知恵とチャレンジ精神を持つことを求められることは言うまでもありません。フロンティア領域での課題解決を考えるときマイクロ波を信号や情報のキャリアとしてのみ捉える慣習からいったん脱却することが必要です。エネルギーのキャリアとしての側面に加え、マイクロ波は運動量や角運動量的側面、いわゆる電気力学的側面などをもう一度見直すことによって新しい世界に挑戦することが可能になるのではないかと考えます。

5.マイクロ波の持つ多くの自由度を生かす

時間・空間周波数、波長、振幅、右左旋偏波、運動量、スピン、0質量エネルギー、電界ベクトル、磁界ベクトル、振幅・・・これらの多くの自由度を持つマイクロ波を情報キャリアとして一つだけの役割に閉じ込めていないでしょうか。固定概念にとらわれず、固体プラズマをはじめ電磁流体を扱う人達との協働も必要だと思いますし、Maxwell 方程式を3次元異方性物質の内部で扱う必要性や物性物理や電気化学、生物化学など別の分野の支配方程式と結合する必要性が生じるように感じます。この時、時間的過渡応答や強い非線形の問題を扱うことは避けられませんが、その技術を乗り越えるツールを手にした時、我々は新しい技術領域が創造できるように思います。

6.材料との直接相互作用を考える

我が国の材料技術およびそのプロセス技術は世界のトップレベルにあり経済の大きな牽引力になっています。この強みを一層高めトップランナーであり続けるためにマイクロ波の潜在能力をそのプロセス技術に生かすことは極めて有効な技術戦略だと考えます。

物質・材料は3次元的な構造を持ち構成原子は内部で相互に電気的に相互作用しています。これは3次元的であり、時間要素を入れると4次元的でもあります。物質・材料とマイクロ波の相互作用を考えるとき、誘電率とか透磁率というマクロパラメタで簡単に済ましてきていないでしょうか。もっと立体化された非線形を含む相互作用を別の専門分野の人たちとミクロな物性パラメタを加えて大いに議論を深めなければならないと思います。そのためにも物性物理学や化学合成の技術者と専門を超えて如何に共通領域、融合領域を論じられるかということが、新技術領域拡大の鍵を握っているのではないでしょうか。この技術領域は戦略的カテゴリーの一つとして捉え産学協力して大きく育てたいと考えます。

7.メタマテリアルは融合領域を創造する

あえていえば、材料技術者とマイクロ波技術者との接点はマクロパラメタのみで、これまで別々に仕事をしてきました。このようなやり方はもう途上国に明け渡さなければならない時代です。メタマテリアルが新鮮に見えたのも材料とマクスウェル方程式の新しい接点を垣間見たと思えたからかも知れません。

この領域には当然のことながら材料技術の人たちやプロセス技術の人たちと共通で行う必要があり、真にメタマテリアルが実用化されるには、我々の方から境界領域の人たちを積極的に受け入れコラボレーションする必要があります。言葉もアプローチも違う“未知との遭遇”に対する決断が重要ではないでしょうか。一方でメタマテリアルは新しい波動現象の理解に別のアプローチが可能でありマイクロ波技術者にとって極めて教育的であるとともに、物性物理や材料科学の分野に全く新しい潮流を創り出す可能性を秘めています。このような観点から、多方面の専門分野の方々と融合領域を作りたいものです。

8.過去に諦めた技術への再チャレンジ

水中の電磁波通信というのが最近の記事で実用化が報告されていました。水の中の携帯電話とも言うべき技術でまだ十分な技術に成長していませんが、海がわが国にとって食糧やあらゆる資源確保を考えると将来は今以上に重要になることは間違いありません。水という物質と電磁波との相互作用を十分に調べず、“吸収するからできない”と諦めているように思います。GPSを動かす等、陸上と自由に通信したいものです。これはほんの一例にすぎませんが技術インフラが大きく進化した今日、実用化されなかった過去のマイクロ波技術を探索してかつての技術者の夢を現在の技術で実現したいものです。資源・エネルギー・食糧などのひっ迫を考えるとき国土の10倍を超える我が国の排他的経済水域の有効利用は極めて重要な課題として認識しなければなりません。海洋や宇宙の広大な空間でのシームレスな通信技術をはじめ海洋資源確保に対してマイクロ波技術がどう貢献できるかは我が国の自立と経済進展にとって極めて重要な課題であると思われます。

9.モデル化が技術の本質を浮き彫りにする

私たちは3次元のシミュレーション技術を駆使してMaxwell方程式の解である電磁場を解析する技術を持っています。しかし計算するだけでは創造的な仕事はできません。常に計算結果の物理的意味を考えるツールを今後も考えていく必要があるように思います。物理学でいうモデル化手段である等価回路化技術は理解も比較的容易であり、マイクロ波技術者のみならず境界領域の技術者にも解析手段として有用である様に感じます。空間積分によってキルヒホフの方程式が得られますが主題を何に選ぶかによって幾通りでも存在します。

等価回路はシステム全体が示すいくつかの主題ごとにその要因だけを取り出して表現することができるため、システムの本質を関係する他分野の技術者と議論しやすく交流のプラットフォームになる可能性があると考えらます。この基礎的分野の発展を切に願います。

10.電磁界・回路理論の成果をシミュレータに生かす

輸入市販品を用いた電磁界のシミュレーションだけではもう途上国にコスト面で勝てないことを再認識することが重要です。特に海外と勝負するとき、わが国の洗練された文化や隅々まで行き届いた技術を組み入れた自前のソフトが欲しいものです。スパコンとシミュレーション技術を外国に抑えられたら技術立国はまずあり得ない事を危惧します。グローバルな経済戦争にある今日、ブラックボックス的なツールを使っての物作りが経済を支えている危うさを強く感じます。我が国の強みはどこにあったのか、今こそ振り返って整理し戦略を立て直す必要性を感じます。

理論電磁界の研究者は市販の電磁界計算ソフトの精度や適用限界、信頼性などを評価する技術を開発したり、物理的意味が明確な固有モード表現ソフトを開発したり、回路化表現ソフトを開発すれば国産のソフトベンチャーを起こせるのではないかと思います。ここまで行けば産業界から学会への自動的なフィードバックが期待できるのではと考えます。マイクロ波分野でも積極的に計算ロジックやシミュレータの評価技術等を学術論文として位置付ける方策を検討すべきであると思います。このことはわが国の知的財産の有体に関わることであり、資源・エネルギーを持たない我が国の長期戦略に組み込むべき要素であると感じます。

11.我が国半導体産業の凋落から学ぶこと

今、日本の半導体産業はとても世界一とは言えません。栄光はなぜ失われたのか厳密ではありませんが、装置産業化したため製造ノウハウは守れなくなったとか設備投資の規模で途上国に遅れをとったとか俗人的ノウハウの海外流失とか言われます。かつて産業の米と言われた半導体産業の凋落ぶりには目を覆うべきものがあります。しかし技術開発競争に負けたとは決して聞きません。世界のビジネスに付いていけなかったわけです。言い換えれば技術分野、製品企画面において先進国指向ができず、顧客不在の個別技術の信頼性に関してのみ過剰品質品を作り続けるというスタイルを取りました。その結果途上国の低コスト技術とまともにぶつかり商品企画ビジネスで負けたとも言えます。これは携帯電話や、PC、iPot、iPadなどにも同様な事が言えると思います。マイクロ波技術についても技術だけでは戦えません。技術の応用展開とシステムとの整合性、ビジネス形態、標準化戦略を一層配慮したエンジニアリングを進める必要性を感じます。エネルギーを扱う無線電力伝送のような新しい領域では我が国や世界のスマートグリッド構想の中で技術をどう位置づけるかを考え、世界のリーダーシップを取る技術開発、システム開発、ビジネス開発をバランスよく進めることが求められます。質量資源を持たない我が国にとってマイクロ波エネルギーは重要な技術方策となることが期待されます。業界を超えた協力体制が求められることは言うまでもありません。

12.我が国のマイクロ波半導体技術の現状と課題認識

私はマイクロ波技術者が半導体分野の技術者ともっと有機的な技術融合や協働ができないものかと考えています。現状では、デバイス技術者が半導体を作り、マイクロ波技術者がそのブラックボックス評価とデバイスパラメタの抽出を測定器で行っていると思われます。

デバイスのモデリングを行っている人たちが海外に多く、それを海外のソフトメーカーが取り入れて販売するというコンビネーションプレーをしています。他方、日本では業界間連携に十分取り組んでいるでしょうか。我が国ではこういった仕事を評価してこなかったつけが回ってきたのだと思います。設計ソフトは物(ハードウエアー)を作る手段でしかないため、生産プロセス技術よりも低い評価をしてきた。そして最も大事な付加価値をつける設計プロセスを輸入品のデバイスシミュレーターに頼ってきたのです。プロセスは装置屋さんの仕事としても、設計開発ツールのコアとなる部分は是非自前で持ちたいものです。

現状、我が国のものづくり産業のいくつかは武器をブラックボックスとして買いながら製造元の国と戦争をするようなところがあります。先進国であり続ける方策は重要な要素技術は他国に頼らず自前技術を持つ事ではないでしょうか。自立に不可欠な基本財産・基本技術での直接対決は避け顧客満足度で利益を得る事業形態、商品企画を目指したいものです。

13.世界のマイクロ波技術者であり続けるために

前にも述べましたが私はマイクロ波技術者が半導体技術者ともっと有機的な技術融合や協働ができないものかと考えています。特に大信号用半導体は先進国の差別化技術ですが、これも物理モデルをどう考え改良を加えるかという問題ですが、出来た結果を外国のブラックボックス化されたシミュレータで抑えられたらマイクロ波技術者は創造的仕事ができるでしょうか。プロセスで勝負するのは我々ではありません。半導体デバイス内の小さい均一空間を物理屋さんはモデル化して扱うことができます。回路内の電磁界は我々の領域、しかしその接合点を含む全体的物理現象を理解できる人は殆どいない状況です。多くの人たちが知恵を合わせてソフトに落とし込まなければ、急上昇する途上国技術と差別化することは困難です。今後、こういった領域に踏み込むことが出来なければマイクロ波技術者は全員失業して途上国の技術者にとって代わられる事は火を見るより明らかです。我々を除く海外の人たちはハングリーでかつ戦略的です。我々はあらゆる意味で基本財産、基本技術を持つ自立国家を作らなければ足元をすくわれ、経済は不利な状況に追い込まれます。技術的にもその存在感が世界で失われることを意味します。マイクロ波と他の境界領域との融合は今わが国の技術戦略において極めて重要なポイントであるといっても過言ではありません。

14.終わりに

以上戦略領域設定の背景と経緯について述べてまいりましたが全体を通してマイクロ波専門技術だけの閉じた空間からの脱皮と境界領域や他分野との融合によってマイクロ波の持つ潜在能力を一層引き出し、新時代に我々技術者がどう適用するかが主題になっています。

かつて、異業種交流が盛んに叫ばれ、製造技術の発展促進が叫ばれた時期がありました。今は設計生産現場より上流、すなわち研究開発の最前線に対して文理融合型組織の重要性が求められています。言い換えれば科学技術は国の予算編成においてまた技術的効果においてあまりにも大きな社会的インパクトを与えるからに他なりません。この時代に専門分野の技術の深耕はいうまでもありませんが、垣根を乗り越えた他分野との連携・融合に対して我々マイクロ波のエンジニアが真摯な精神を持って取り組むことが社会の課題解決に直接貢献できる必要条件ではないでしょうか。戦略的で一層目的志向の研究開発が求められる時代になったと言うことができます。IEEE MTT-S Kansai Chapter のワークショップは関西の新時代の復権を担いわが国全体の学術・産業と有機的な繋がりをみせ、世界をリードするものでありたいと考える次第です。

“関係各位のご理解を賜りますと同時に、今後ともご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。”